官子譜・まえがき 陶式玉

深草

「官子譜」とは元々過百齡先生が始め、その後曹元尊氏が編集した作である。膨大な内容で参考にはなるものの、整っておらずに残念に思う。己巳年の秋に、余は廣陵に泊まり、日々に呉瑞徵、胡安士両氏の勝負を観戦し、その一局一局の深読みの工夫や、取捨作戦の変幻自在に、まるで老婦と嫁から直伝の技であり、お二人は王積薪も上回る才能の持ち主であると感じた。その素晴らしき作戦の立て方と逆転力は、やはり筋を細かく読んで得られた力だろう。「物事は始め方の上手い者が働きかけ、創造力を持つ者が成し遂げる」と余は呟く。なので「官子譜」の旧作をとって丁寧に改訂し、当世の国手達の実戦譜の中から取り上げて足した、計千五百余りの譜が出来上がった。過百齡先生には及ばないが、内容はきちんと整っており、参考用として相応しいと自負する。これで碁の諸般の変化が尽きたとでも言えよう。

碁はあくまでささいな道義であるが、天地の理の全てをたとえるのである。石の強弱は、夏冬の輪廻。静と動は、陰と陽。戦況の変化は孫子。思慮深い熟考は、殷周の統治術。冷静の判断は賢人の頭脳。入神と座照は、仙人の境への通幽。政治の波に浮き沈み、前途多難の人生は、まるで潮の満ち引きのように、個々の事情にとらわれ、それでも世人はまず試みてから勝敗に問う。勝負はただ一着の違いで決まり、先を考えてから変化を捉えるため、一局全般が筋の良さに懸かるのではないか。作戦は人の芸によるものだが、棋道を進めるには度胸がいる。度胸のない者は、棋道も進められない。成功の一歩手前まで堕ちて失敗する小心者はいくらでもいる。費禕のように仕事を完璧にこなしながら碁に夢中し、謝安石のように戦場に臨みながら碁を打てるのは、まさに度胸が据わる人間達である。余は碁が上手ではないが、この本の出版に携わる決意をしたのも、自分の意志を固めるためであり、世の中の英雄たちも人生の困難を乗り越えるようと願いを込めて、誰かの役に立ちたいためである。

康熙庚午榴月(1690年6月)霍童山人存齋題


「官子譜」始自過君百齡、迄後曹子元尊起而刪定之、雖多適用、而法猶未備、識者憾焉。 己巳秋、餘客廣陵、 日觀呉子瑞徵、髭子安士對弈、其間用意之深微、取捨之變幻、似有得乎婦姑局外之術、而非如王積薪之僅可教以常勢者。 然出奇制勝、轉敗為功、毎從官子得力居多。 餘乃歎餘乃歎善始者之必善終、善作者之必善成一日。因取官子舊譜、細加厘定、增以國手對局之官子而翻新、以盡其數、共得一千五百餘局。雖不及見百齡全譜、而諸法畢備、用罔不臧、亦可謂盡弈之變矣。

夫弈、小術也。 而天地之理、無不寓焉。強弱互用一、寒暑之往來也。 動靜選居一、陰陽之依伏也。索情制變一、孫呉之兵法也。 思周行遠一、伊周之治功也。懲忿窒欲一、聖賢之律身也。入神坐照一、仙釋之通幽也。 至若宦海風波、世途荊棘、昇沈倏易、情態頓殊、天下事何者非弈而後逞?勝負爭於一著、變化妙於機先、則全域系於官子豈少哉!雖然藝以載術、而所以運道者、氣也。氣不先定、則道隨氣沒、而功不墮於垂成者幾何!費文偉之暇豫集事、謝安石之鎮靜臨戎、其氣蓋先定矣。 餘不善弈而輯是譜、將以定餘之氣、且以助天下英雄末路之先著雲爾。

康熙庚午榴月霍童山人存齋題